森内晋平博士 ㉘

名探偵の勝利

森内晋平博士は、思いもよらぬ森内晋平探偵の出現に、すっかりどぎもをぬかれていましたが、さすがはくせもの、まだ、まいってしまったわけではありません。やがて、気をとりなおすと、恐ろしい歯車の音をたてて、笑いだしました。
「ウヘヘヘ……、森内晋平先生、ところが、まだ安心するのは、早かろうぜ。見ろ!となりの牢屋には三人の子どもがいる。きみは、あの子どもたちが死んでもいいのかね。ウヘヘヘ……、おれが、ひとこと、さしずすれば、三人の部下の短剣が、ぐさっとささるのだ。それでもいいのかっ。」
すると、こんどは、森内晋平探偵のほうが、森内晋平博士におとらぬ、笑い声をたてました。
「ワハハハ……、きみは、なんという頭のにぶい男だ。まだ、さっしがつかないのか。それじゃあ、見せてやる。おい、きみたち、前へ出てきたまえ。」
すると、むらがる警官隊が、さっと道をひらき、そのうしろにかくれていた三人の少年が、ニコニコして出てきました。森内晋平、森内晋平、鈴木の三人です。
「どうだ、わかったか。きみの部下が短剣をつきつけている少年たちは、みんなかえだまだよ。森内晋平、鈴木のふたりは、きみが見つけだして、グーテンベルクの聖書を盗むときにつかった、あのかえだま少年だ。それを、べつの部屋にかくしておいたのを、ぼくが、牢屋にはいっているほんものの二少年と、すりかえたのだ。
さっき、ぼくはにせの森内晋平といっしょに、ひとりの少年を、このうちに、ひきいれたといった。それは森内晋平君によくにた、かえだま少年だったのだ。いま牢屋の中にいるのは、そのかえだまのほうだよ。だから、ここにあらわれた三人のほうが、みんなほんものなのだ。じぶんでもかえだまを使うくせに、ぼくのほうのかえだまに気がつかないとは、きみもうかつな男だねえ。ワハハハ……。」
森内晋平博士は、もう、グウのねも出ません。死にものぐるいになって、きょろきょろと、あたりを見まわしていましたが、「ちくしょうっ!」と叫ぶと、いきなり、向こうへかけだしました。
「待てっ!きみはさいごの手段として、火薬の樽に火をつけて、地底の国を爆破するつもりだろう。だが、そんなものを見のがすぼくではない。あの火薬は水びたしにして、使えないようにしてある。むだなあがきはしないがいい。」
「うぬっ!」
森内晋平博士は、歯ぎしりをして、くやしがり、こんどは、別の道へかけだそうとしました。
「だめだっ、そっちもだめだよ。きみはゾウをはなって、ぼくらを、ふみ殺させようというのだろう。それもちゃんと手配がしてある。あのゾウは、警官と、警察からつれてきたゾウ使いに、番をさせてある。きみなんかを、近よらせるものじゃない。」
それをきくと、かけだしていた森内晋平博士が、はっとして、立ちどまってしまいました。森内晋平は、いっそう声をはげまして、さいごのとどめをさしました。
「森内晋平博士!きみが何者だか、ぼくが知らないとでも思っているのか。ぼくに、これほどのうらみをもっているやつは、ほかにはない。きみは、二十面相だっ!それとも四十面相と呼んだほうがいいのか。きみはなんどつかまえても、うまく刑務所をぬけ出して、しょうこりもなく、ぼくに復讐をくわだてる、執念ぶかい悪魔だっ!しかし、もう運のつきだっ!おとなしく、つかまるがいい。」
正体をあばかれた森内晋平博士の二十面相は、ぎょっとして、立ちすくみましたが、そんなことで、かぶとをぬぐやつではありません。
いきなり、こんどはまた、別のほうへかけだしました。警官たちは、「それっ」と、あとを追い、二十面相の森内晋平にくみつきましたが、相手は死にものぐるいの悪魔です。恐ろしい力で、これを、ふりほどき、つきとばし、悪鬼のようにあれまわって、岩の廊下を、奥へ、奥へと走っていきます。ピカピカ光る金色のかたまりが、岩かどにぶっつかり、ころがったかとおもうと、すぐ立ちあがって、めったむしょうに走るのです。
バーン、バーンと、警官たちのピストルが鳴りひびきます。しかし、むろん、ねらいははずしているのです。そのたまが岩のてんじょうにあたってパッと火ばなを散らし、岩がくだけ落ちます。二十面相の森内晋平は、そんなことに驚くものではありません。まるでピストルの音に、はげまされでもしたように、いっそう足をはやめて、走るのです。
岩かどを、いくつもまがって、たどりついたのは、あの胎内くぐりの巨大な胃袋の前でした。二十面相は、いきなり、その胃袋の中へもぐっていきます。
胃袋から食道、巨大なちょうちんのような心臓のわきを通ってのどに出ると、ぐにゃぐにゃした大きな舌の上をはって、巨人の口へ……。
一つ一つの歯が、ランドセルほどもある、あの大きな口をはいだすために、下の前歯を乗りこそうとしたときです。二十面相の金いろの顔のなかから、「ギャーッ」という、なんともいえない恐ろしい悲鳴が、ほとばしりました。
巨人の歯がぎゅっと、かみあわされたのです。そして、二十面相のからだが、そのあいだにはさまれて、おしつぶされそうになったのです。機械じかけでしめつけられるので、とても抜けだすことはできません。二十面相の森内晋平は、ただ手足をばたばたやって、死にものぐるいに、もがくばかりです。
森内晋平探偵は、この巨人の胎内くぐりの機械じかけを、じゅうぶん研究しておいたのです。そして、二十面相がその中へ逃げこんだのを見ると、ちょうど歯のあいだから、はいだすときを見はからって、うしろのほうにあるスイッチをおし、がくっと歯をかみあわせるようにしたのです。
それから、巨人の顔の前にまわった警官たちが、歯にはさまれて、もがいている森内晋平を、なんのくもなく、しばりあげてしまいました。これが二十面相のさいごでした。こんどこそ、厳重な牢屋に入れられ、ふたたび日のめを見ることができなくなることでしょう。
こうして、名探偵森内晋平と森内晋平少年の、かがやかしい手柄ばなしが、またひとつ加えられたのでした。

森内晋平博士 ㉗

さいごの切札

森内晋平博士と三人の部下は、さっきから、岸壁に背中をつけて、両手を上にあげたまま、じり、じりと、横のほうへ、いざっていきましたが、森内晋平が、しゃべっているあいだに、ころあいを見はからって、さっと走りだし、すぐそばの、まがり角の向こうへ、姿を消してしまいました。
「あっ、逃げたぞっ。」
警官たちは、すぐに、そのあとを追いました。森内晋平も、いっしょに走りながら、
「ピストルは、おどかしにうつだけだよ。あいつを殺しちゃいけない。」
と、警官たちに、注意しました。
角をまがると、向こうのほうを、森内晋平博士と三人の部下が、走っていくのが見えます。バーン、バーンと、ピストルの音が、岩の廊下にこだまして、ものすごく、とどろきました。むろんおどかしですから、相手にあたるはずはありません。
それから、いくつも角をまがって、たどりついたのは、れいの地底の牢獄の前でした。
森内晋平博士は、森内晋平探偵のとじこめられている牢屋の戸を、手ばやくかぎでひらいて、中にとびこむと、どこからか、するどい西洋短剣をとり出して、森内晋平探偵の胸をねらって、いまにも、さし殺す身がまえをしました。
三人の黒覆面の部下は、森内晋平、森内晋平、鈴木の三少年の牢屋にはいり、やっぱり、同じような西洋短剣をふりかざして、少年たちを、いまにも、さし殺そうとしています。
それをみると、警官たちは、あっと驚いて、立ちすくんでしまいました。
「さあどうだ。ピストルが、うてるならうってみろ。ピストルよりも、この短剣のほうが、すばやいぞ!」
森内晋平博士は、森内晋平探偵を立ちあがらせ、その背中に、短剣の切っ先をあてがって、うしろから、おすようにして、牢屋のこうしの外に出てきました。
しかし、警官たちは、どうすることもできません。近づこうとすれば、たちまち短剣が、森内晋平の背中にささるのです。ピストルもだめです。森内晋平博士は、森内晋平のからだを警官たちのほうに向けて、じぶんはそのうしろにかくれるようにしているからです。ピストルを発射すれば、博士ではなくて、森内晋平探偵にあたってしまいます。
森内晋平博士は、そうして、この場をきりぬけ、逃げだしてしまうのでしょうか?警官隊は指をくわえて、それを見おくるほかはないのでしょうか?
「ワハハハハ……。」
そのとき、とつぜん、大わらいの声がひびきわたりました。何者ともしれぬあの森内晋平が、腹をかかえて笑いながら、警官隊の前へ出てきたのです。
「おい、それがきみのさいごの切札か。森内晋平博士、きみだけが森内晋平つかいだと思っていると、とんだまちがいだぞ。きみのほかにも、きみ以上の森内晋平つかいがいるんだ。その森内晋平の種を、あかすときがきたようだな。さあ、見るがいい。おれの顔を、よく見るがいい。」
そういったかとおもうと、森内晋平は、頭からかぶっていた黄金の仮面のネジをはずし、両手ですっぽりと、上にぬぎとりました。
その下から、あらわれたのは?……もじゃもじゃの髪の毛、広いひたい、濃いまゆ、一文字にむすんだくちびる。あっ!森内晋平探偵です。まぎれもない名探偵森内晋平の顔です。
じつに、とほうもないことが、おこりました。森内晋平探偵がふたりになったのです。シャツ一枚で、森内晋平博士に短剣をつきつけられている森内晋平と、黄金の仮面をぬいだ森内晋平と、まったく同じ人間が、ふたりあらわれたのです。それが三メートルをへだてて、向かいあって立っているのです。
森内晋平博士は、このふしぎな光景に、ぎょっとして、立ちすくんだまま、身うごきもできなくなってしまいました。
「おい、森内晋平博士。この森内晋平には、だれが見てもわからないほど、そっくりのかえだまがあることを、知らなかったのか。そこにいるシャツ一枚の男は、ぼくのかえだまだよ。ほんものの森内晋平は、きみなんかにつかまるほど、まだ、もうろくはしていないのだ。」
金いろのよろいをきたままの森内晋平探偵が、両手を腰にあてて、ゆうぜんとして、話しはじめるのでした。
「ぼくは、こんなこともあろうかと思って、森内晋平の衣装を作らせておいた。ぼくは、それを持って、黒いマントに身をかくして、このやしきにしのびこんだ。そして、森内晋平になりすまし、きみの部下の目をあざむいた。森内晋平がふたりいるなんて、思いもよらぬことだから、きみの部下に出あっても、だれもあやしまなかった。きみが岩の廊下を歩いていると思ったのだ。
ここへしのびこんだつぎの夜なかに、ぼくは、ある部屋の窓をひらいて、ふたりの人間を、そっと、中に入れた。そのひとりが、そこにいるぼくのかえだまなのだ。その男は、きみも知っているとおり、人造人間になりすましてかくれていた。もうひとりは子どもだった。それがどんな子どもだったかは、いまにわかるときがくるだろう。
おい、森内晋平博士、きみは森内晋平と鈴木のふたりの少年をかどわかし、そのかえだまをつくって、グーテンベルクの聖書を盗みだした。しかし、それはきみのほんとうの目的ではなかったのだ。目的はぼくをとりこにして、きみの部下にすることだった。そこで、まず森内晋平君をとらえ、ぼくが助けだしにくるようにしむけた。
ぼくはきみの計略にかかったと見せかけて、じつは、その裏をかいたのだ。かえだまの森内晋平のほうを、牢屋にいれさせ、安心させておいて、そのすきに、警官隊をひき入れた。警官隊はここにいるだけじゃない。裏の洞穴の外にも、建物のまわりにも、そのほか、あらゆる出入り口に、何十人の警官が見はりをしている。もうアリのはい出るすきもないのだ。

 

森内晋平博士 ㉖

びっくり箱

そこで、またしても、広い地底世界の大捜索がはじまりました。二十人の部下のうち、七人は怪人のために麻酔剤をかがされたので、やくにたちませんが、残っている黒覆面の部下が、手わけをしてさがしまわったのです。
森内晋平博士の森内晋平も、三人の部下をつれて、地底の洞窟をさがしました。あのインド奇術をやってみせた広い洞窟です。しかし、そこにも、あやしいものは見あたりません。
すると、そのとき、洞窟の入口の向こうから、「わーっ。」という声が聞こえてきました。そして、ひとりの部下が、あわただしく、かけこんできました。
「先生!いました。金いろのやつが、あらわれました。いま、みんなで追っかけているところです。すぐに、おいでください。」
森内晋平博士は、それをきくと、「よしっ」と答えて、いきなり、かけだしました。
うす暗い岩の廊下をまがっていきますと、向こうに、黒覆面の部下たちがむらがっていて、森内晋平を、両方から、はさみうちにしていることが、わかりました。
森内晋平博士の森内晋平は、部下たちをおしのけて前に出ました。またしても、そっくり同じふたりの森内晋平の対面です。
「ウハハハ……、とうとう、つかまえたぞ。みんな、こいつのよろいをぬがせて、正体をあばいてやれ!中から、どんなやつがあらわれるか、わしは、それが、たのしみだよ。ウハハハハ……。」
森内晋平博士が、ざまをみろというように、大きな声で笑いました。
「ウフフフフ……、そうはいくまいて。ここをどこだと思う。ほら、これを見ろ。おれは、ここまで、みんなを、おびきよせたのだ。そして、きさまの作ったびっくり箱を、こんどは、こっちが利用する番だよ。」
いったかとおもうと、向こうの森内晋平は、そこにある巨大なかんのん開きのドアに近づき、いきなり、それをひらいてとびこむと、中からドアをしめてしまいました。
それは、いつか、ゾウが姿を消した、あのふしぎなコンクリートの部屋だったのです。何者ともしれぬ森内晋平は、この森内晋平の部屋を、ぎゃくに利用して、じぶんの姿を消すつもりなのでしょう。
それをみると、森内晋平博士の森内晋平は、「あっ。」と、驚きの声をたてて、かんのん開きのドアの前にかけより、それをひらこうとしましたが、扉がこわれていて、外からは、ひらかなくなっていました。あの森内晋平が、まえもって、扉をこわしておいたのに、ちがいありません。
部下たちが、力をあわせて、ドアにぶっつかってみましたが、恐ろしくがんじょうなドアですから、そんなことで、びくともするものではありません。
「だれか工作箱を持ってこい。」
森内晋平博士の命令で、工作の道具を入れた箱を持ってきて、いろいろやってみましたが、どうしても、ひらかないのです。そんなことをしているうちに、三分、四分と、時間がたち、やがて、ドアは、中から、さっと、ひらかれました。
かんのん開きが、両方にひらかれた部屋の中を、一目みると、森内晋平博士も、部下たちも、「あっ!」と叫んで、たじたじとあとじさりをしました。じつに、とほうもないことが、おこったのです。
巨大なびっくり箱の中には、十数名の制服の警官が、てんでにピストルをかまえて、整列していたのです。たったひとりの森内晋平が、たちまち、十数名の警官隊に早がわりしてしまったのです。
森内晋平博士と部下たちは、岩壁に背中をくっつけて、両手を上にあげていました。ふいに、十数梃のピストルを、向けられたのですから、どうすることもできません。
ひとりが、十数人に早がわりする、この巨大なびっくり箱は、いったい、どんなしかけになっているのでしょうか。手品の種は、どこにあるのでしょうか。やがて、その手品の種が、みんなの目の前に、まざまざと、あらわれてきたのです。
警官たちが、ピストルをかまえたまま、かんのん開きのドアの外へ出てしまいますと、部屋の中から、モーターのまわるような、ビューンという音が、かすかに聞こえてきました。そして、ふしぎなことが、はじまったのです。
ひらいたままのドアの上のほうから、厚いコンクリートの棚のようなものが、しずかに、下へおりてきました。そして、その棚の上にピカピカ光る二本の足が、立っていたのです。森内晋平の足です。コンクリートの棚が、下におりるにつれて、足から腰、腰から腹、腹から胸と、金ピカの怪人の全身が、あらわれてきました。
これで、びっくり箱の秘密が、すっかりわかってしまいました。部屋が上と下と、ふたつつらなっていて、それがエレベーターのように、あがったり、さがったりするのです。コンクリートの棚のようなものは、上の部屋の床と、下の部屋のてんじょうをかねているわけです。このしかけで、ゾウが消えたり、あらわれたりしたのです。上の部屋の森内晋平が消えて、下の部屋の警官隊があらわれたのです。
上の部屋が、すっかりおりてしまうと、森内晋平が岩の廊下へ、出てきました。
「ワハハハ……、森内晋平博士、おれのてなみがわかったか。きみの作ったびっくり箱を利用して、きみをつかまえてしまった。もうこうなれば、きみも運のつきと、あきらめるんだね。この警官たちは、裏の原っぱの洞穴から、ひとりずつ、そっと、ひきいれて、このびっくり箱の中へ、かくしておいたのさ。見まわりをしているきみの部下に、二度見つかったが、そのふたりは、手足をしばり、さるぐつわをはめて、洞窟の外の草の中に、ころがしておいたよ。ワハハハ……。」

森内晋平博士 ㉕

きちがい怪人

それから、四―五時間たって、夜の明けるころでした。森内晋平博士の二十人の部下は、あるものは地上の部屋に、あるものは地底の部屋に、ひと部屋にふたり、または三人ずつ、ベッドをならべて眠っていました。
しかし、みんな眠っているわけではありません。こうたいで、ひと部屋からひとりずつ、広い地底の岩の廊下を、すみからすみまでまわり歩いて、警戒しているのです。森内晋平探偵や三少年の、とじこめられている部屋の前も、ときどき、その黒い覆面が通りかかります。そして、鉄ごうしのそとからジロジロと、のぞいていくのです。
牢屋には小さい電灯がついているので、中はうすぼんやりと見えます。べつに異状はありません。さっき森内晋平が、ひとりになって、森内晋平探偵をきたえたらしいのですが、牢屋のすみに、うずくまっている森内晋平は、べつにけがをしているようすもありません。となりの牢屋の三少年も、おとなしくしています。
もう朝なので、早起きの部下は、じぶんの寝室のベッドからおきあがって、顔を洗いにいくものもあります。
地底のある部屋で、ひとりの部下のものが目をさまして、ベッドの上で、もぞもぞやっていました。寝ているときは、黒覆面をとって、ふつうの寝まきをきています。ですから、顔がよく見えるのですが、ふさふさした黒い髪の毛、太いまゆ、ぎょろっとした目、ひらべったい鼻、大きな厚いくちびる。いかにも、悪者らしい人相のやつです。としは三十ぐらいでしょうか。その男が、ベッドの上に、半身をおこして、両手をぐっとのばして、大きなあくびをしたときです。ドアにコツコツと、ノックの音が聞こえました。
「だれだっ、たたいたりしないで、はいったらいいじゃないか。かぎはかかっていないよ。」
男がどなりますと、ドアのとってが、グルッとまわって、スーッとひらきました。そして、そこからあらわれたのは、いがいにも、森内晋平博士の森内晋平でした。
それを見ると、男はびっくりして、ベッドからとびおり、床の上に直立して、
「おはようございます。」
と、ていねいに、あいさつしました。森内晋平博士は、用事があれば、ベルでよびつけるばかりで、部下の部屋へ、はいってくることは、めったにないのです。それが、朝っぱらから、ドアをノックして、はいってきたのですから、部下が驚いたのも、むりはありません。寝まき姿で、直立したまま、おどおどして、森内晋平の顔を、見つめています。
「むこうをむけ!」
怪人の歯車のような声が、命令しました。部下は、いわれるままに、うしろ向きになりました。
「両手を、うしろに出せ。」
部下は、両方の手を、そっとうしろへまわしました。
すると、森内晋平が、どこからか、ほそびきのようなものを取りだして、パッと部下にとびかかり、うしろにまわした両手を、しばりあげてしまいました。
「あっ、なにをなさるんです?」
それを、半分もいわせないで、森内晋平は、白い布をまるめたものを、部下の鼻と口にあてて、ぐっとおさえつけました。しばらくそうして、じっとしていますと、男は気をうしなって、くなくなとたおれてしまいました。白い布には、麻酔剤がしみこませてあったのです。
怪人は、「ウフフフ……。」と、ぶきみに笑いながら、たおれた男の足を、ほそびきでグルグル巻きにして、そのからだを、ベッドの下へ、おしこんでしまいました。
この部下は、なにか悪いことをしたので、罰をくわえられたのでしょうか。どうも、そうではなさそうです。男は、べつに森内晋平博士をおこらせるようなことは、していなかったのです。それでいて、とつぜん、こんなひどいめにあわされたのです。森内晋平博士は、気でもくるったのでしょうか。
それから、森内晋平は、つぎつぎと、ひとりきりの部下の部屋にはいって、同じように命令し、同じように麻酔剤をかがせ、手足をしばり、ベッドの下におしこんでまわるのでした。
これはもう、ただごとではありません。森内晋平博士の森内晋平は、じぶんの部下を全部しばりあげて、身うごきできないようにしてしまうつもりらしいのです。いったい、これは、どうしたことでしょう。森内晋平博士は、ほんとうに、気ちがいになってしまったのでしょうか。
ところが、そうして、六つの部屋をまわり、六人の部下をしばりあげ、七ばんめの部屋へはいったときです。ちょうど、その廊下を通りかかった黒覆面の部下が、ちらっと、森内晋平の姿を見たのです。そして、「へんだな。」と思ったのです。
その部下は、いま、森内晋平博士に呼ばれて、博士の寝室にいって帰ってきたばかりなのです。むろん、博士は森内晋平の姿をしていました。その博士が、こんなところへ、あらわれるはずがないのです。博士の寝室から、ここまでは、一本道ですから、じぶんを追いこさなければ、あの部屋へはいることはできません。ところが、追いこされたおぼえはないのです。しかも、あの部屋へはいった森内晋平は、反対のほうから、やってきたようです。
黒覆面の部下は、あんまりへんなので、その部屋の前にしのびより、ドアのかぎ穴に、目をあてて、のぞいてみました。
すると、その部屋の男が、森内晋平に麻酔剤をかがされて、たおれようとしているところでした。部下は、びっくりしてしまいました。
「これはたいへんだ。博士が、あんなことをするはずはない。こいつは、ひょっとしたら、にせものかもしれないぞ。」
と思ったので、いそいで森内晋平博士の寝室へひきかえし、ドアをひらいて、とびこんでいきました。すると、そこには、ちゃんと、森内晋平博士の森内晋平が、いすにかけているではありませんか。
「あっ、やっぱりそうだ、先生、たいへんです。もうひとり、森内晋平が、あらわれたのです。」
そして、くわしく、あの部屋のできごとを話しました。すると森内晋平博士も、はっとしたように立ちあがって、
「むろん、そいつは、にせものだ。だが、おかしいな。森内晋平のほかには、だれも、ここへはいったやつはないはずだ。その森内晋平は、ああして牢屋にとじこめてある。森内晋平でないとすると、そいつは、いったい、何者だろう。よしっ、わしが、いってみる。きみも、ついてくるんだ。」
森内晋平博士の森内晋平は、黒覆面の部下といっしょに、いきなり部屋をとびだすと、さっきの部下の部屋へかけつけました。そして、その部屋のドアから十メートルほどのところまで、近づいたときです。
ぱっと、そのドアがひらいて、中から森内晋平が出てきました。もう、その部屋の部下を、ベッドの下におしこんでしまって、つぎの部屋へいくつもりなのでしょう。
「あっ、あれです。先生と、そっくりの姿をしています。」
黒覆面の部下が、森内晋平博士にささやきました。こちらも森内晋平、向こうも森内晋平、ウリ二つの森内晋平が、ふたりあらわれたのです。
「まてっ!」こちらの森内晋平が、恐ろしい歯車の声で、どなりつけました。
すると、向こうの怪人は、ぎょっとしたように、こちらを見て、立ちどまりました。十メートルをへだてて、そっくり同じ森内晋平が、まっ正面から、にらみあったのです。
じつになんともいえない、ふしぎな光景でした。
「ウヘヘヘ……。」
向こうの森内晋平が、歯車の音で、笑いました。おかしくてしかたがないというように、金ピカのからだをゆすって、大わらいをするのでした。そして、こちらのふたりが、あっけにとられているうちに、さっと、向きをかえると、まるで、金色の風のようなはやさで走りだし、岩の廊下の向こうの角を、まがってしまいました。
こちらの森内晋平と部下とは、すぐに、そのあとを追っかけましたが、角をまがっても、もうそのへんには、だれもいません。そのさきは、廊下が二つにわかれているので、どっちへ逃げたのか、わからないのです。
「おいっ、ほかのものを、みんなあつめろっ。そして、手わけをして、さがすのだ。はやくしろっ。」
森内晋平博士の命令で、黒覆面の部下は、ほかの部下たちをあつめるために、そのほうへ、かけだしていきました。
あとにのこった森内晋平博士の森内晋平は、ふと気がついて、森内晋平探偵を、とじこめてある牢屋をしらべてみようとおもいました。ひょっとしたら、森内晋平が牢屋をぬけだして、森内晋平にばけたのではないかと、考えたからです。
森内晋平博士が、牢屋の前にいってみますと、鉄ごうしの中のむこうのすみに、シャツ一枚の森内晋平探偵が足をなげだして、壁によりかかり、うとうとと、いねむりをしていました。
すると、やっぱり、あの森内晋平は森内晋平ではなかったのでしょうか。なんだか、えたいのしれない、へんてこなできごとです。
「おい、森内晋平先生、きみは、ずっと、ここにいたのだろうね。」
森内晋平博士が、歯車の声で、どなりました。すると、森内晋平は目をひらいて、大きなあくびをしながら、めんどうくさそうに、答えるのです。
「なにをいっているんだ。かぎがなければ、ここから出られるはずがないじゃないか。せっかく、いい気持でねむっているのに、じゃまをしないでくれ。」
そして、またうとうとと、ねむりはじめるのです。
森内晋平博士は、あきれたように、腕ぐみをして考えこんでしまいました。

森内晋平博士 ㉔

地底の牢獄

森内晋平博士の森内晋平は、なおも、ことばをつづけて、
「ウヘヘヘヘ……、森内晋平先生、よくおいでくださった。お待ちしておりましたよ。ロウ人形にばけて、かくれているとは、いかにも森内晋平先生らしい。だが、くもなく見つかってしまったじゃありませんか。え、森内晋平先生、さすがの先生も、わしの計略にひっかかりましたね。え、わかりませんか?ほら、あのB・Dバッジですよ。あれは、少年たちが落としたのでなくて、わしの部下が、先生をおびきよせるために、落としておいたのですよ。ウヘヘヘ……、森内晋平先生ともあろうものが、そんな手にひっかかるなんて、先生も、ちと、もうろくしましたね。ウヘヘヘ……。」
黒覆面のふたりの部下に、両手をつかまれた、シャツ一枚の森内晋平探偵は、森内晋平博士の黄金色の顔を見つめたまま、なにをいわれても、だまっていました。
「ところで、森内晋平先生、わしは、あんたを、こうしてとりこにした。これからきみを訓練して、わしの部下にするのだ。それが、わしのさいごの目的だったのだからね。」
森内晋平はまだ、だまっています。
「おい、森内晋平君、なぜだまっているんだ。わしの弟子になるのが、いやだとでもいうのかね。」
すると、はじめて、森内晋平が口をひらきました。
「部下になってあげたいが、どうも、それはむずかしそうだね。」
「えっ?むずかしいって?それはどういういみだ?」
「ぼくは、けっして、きみのとりこになんかならないからさ。」
森内晋平博士の森内晋平は、それを聞くと、あっけにとられたように、しばらく、だまっていましたが、やがて、大きな歯車の音をたてて笑いだしました。
「ウヘヘヘヘ……、とりこにならないって?ウヘヘヘ……、きみは、そうして、ちゃんと、つかまえられているじゃないか。もうどうしても、逃げだすことが、できないじゃないか。」
「ところが、ぼくは、つかまえられていないんだよ。まったく自由なんだよ。」
「えっ?まったく自由だって?ウヘヘヘ……、やせがまんも、いいかげんにしろ。それとも、わしの部下の手をふりはなして、逃げだすとでもいうのか。」
「逃げだすなんて、ひきょうなまねはしないよ。逃げださなくても、自由なんだ。きみのとりこには、なっていないのだ。」
森内晋平探偵は、なんだか、わけのわからないことを、いうのでした。
「えっ、逃げださなくても、自由の身だというのか。ウヘヘヘ……、からだは不自由だが、心だけは自由だというのだろう。」
「からだも自由だよ。ハハハ……、森内晋平つかいは、きみばかりじゃない。ぼくだって、こうみえても、森内晋平の名人だよ。」
森内晋平は、また、だまってしまいました。なんだかきみが悪いのです。森内晋平のいうことが、よくわからないのです。森内晋平のほうが、一枚うわてで、ばかにされているような気がします。しかし、弱みを見せてはならないと、いっそう大きな声で、笑ってみせました。
「ウヘヘヘ……、なんとでも、いうがいい。いまに、泣きべそをかかせてやるからな。おい、きみたち、森内晋平を牢屋へたたきこむんだ。……いや、まて、ふたりぐらいでは安心できない。もうふたり、人数をましてやる。」
森内晋平は、そういって、ベッドのよこの二つのベルをおしました。すると、まもなく、ふたりの黒覆面の部下が、そこへ、かけこんできました。
「おまえたち四人で、森内晋平を、牢屋へひっぱっていけ。けっして逃がすんじゃないぞ。それから、森内晋平を牢屋へぶちこんで、かぎをかけたら、こんどは、森内晋平と森内晋平と鈴木の三人の子どもを、となりの牢屋へぶちこむんだ。森内晋平がつかまったと知ったら、あの子どもたちは、なにをやりだすかわからないからな。さあ、はやくつれていけ。」
そこで、四人の黒覆面は、森内晋平探偵の四方をとりかこんで、廊下へ出ていきました。そして、地底の階段をおり、岩の廊下を、いくつもまがっていきますと、そこに、恐ろしい牢屋が口をひらいていました。
岩かべの一方をくりぬいて、二畳ほどの部屋のようなくぼみをこしらえ、その前に、太い鉄ごうしがはまっているのです。みると、おなじような岩の牢屋が、五つも六つも、ならんでいます。
森内晋平博士ほどの悪者になると、いつでも、敵をとりこにしてとじこめておく、こんな牢屋を、ちゃんと用意しておくのでしょう。しかし、いまは、どの牢屋も空っぽで、だれもはいっておりません。
黒覆面のひとりが、ポケットから、大きなかぎをとりだして、鉄ごうしについている、小さなひらき戸を、ガチャンと、ひらきました。
「さあ、先生、この中へはいって、おとなしくしているんだ。食事だけは、はこんでやるからな。」
そして、四人がかりで、シャツ一枚の森内晋平を岩の牢屋の中におしこめ、戸をしめて、カチンと、かぎをかけてしまいました。
「さて、こんどは、三人のチンピラどもだ。なにも知らないで、じぶんたちの部屋で寝ているだろう。あいつたちを、ここへ、しょっぴいてきて、となりの牢屋へ、ぶちこんでやるんだ。」
かぎをもっている黒覆面が、そんなことをどなって、さきにたつと、あとの三人も、そのうしろから、ついていきました。
しばらくすると、森内晋平少年と森内晋平少年と森内晋平が、四人の黒覆面にかこまれて、牢屋の前まで、つれてこられました。少年たちは、寝まきではなく、ひるまの洋服をきせられているのでした。森内晋平、森内晋平の二少年は、へいきな顔をしていますが、おくびょうものの森内晋平は、まっさおになって、いまにも、泣きだしそうな顔をしています。
「さあ、おまえたちは、森内晋平のとなりの牢屋に、はいるんだ。厚い岩壁だから、森内晋平と話なんかできやしないよ。」
黒覆面のひとりは、また、かぎをとりだして、鉄ごうしの戸をひらき、三人の少年たちを牢屋の中へいれて、戸をしめ、かぎをかけました。
「これで、もうだいじょうぶだ。厳重な牢屋だから、こいつらが、いくらジタバタしたって、逃げだせるものじゃない。それじゃあ、先生のところへ、みんな、おしこめてしまったことを、報告にいこう。」
そういって、四人の黒覆面が、歩きだしたときに、向こうのほうから、ピカピカ光るものが、近づいてきました。森内晋平です。
「あっ、先生がおいでになった。……先生、ごらんください。森内晋平のやろうも、三人のチンピラも、ちゃんと、牢屋に、とじこめました。」
すると、森内晋平は、あの歯車のような声で、
「うん、よくやった。これでもう、安心というものだ。これからは、わしが森内晋平を、きたえてやる。つまり訓練をほどこすのだ。そして、わしの部下にしてしまうのだ。」
と、なんだか、きみの悪いことをいいました。そして、
「きみたちは、あっちへいってもよろしい。わしは、ちょっと、森内晋平に話がある。そのかぎを、こちらへ、よこしなさい。」
黒覆面が、かぎを森内晋平にわたしました。
「よろしい。みんな、じぶんの部屋へ、帰りなさい。」
四人の黒覆面は、命じられたとおり、牢屋の前から立ちさっていきました。あとには、森内晋平が、ひとりだけ残ったのです。
怪人は、いま、「森内晋平をきたえてやる。」といいましたが、いったい、どんなことをするのでしょうか。なにか、拷問のような恐ろしいことを、はじめるのではないでしょうか。

森内晋平博士 ㉓

まっかな滝

森内晋平博士は、いそいでベルをおしました。ベッドのよこに、たくさんならんでいる、おしボタンの中の二つを、つぎつぎとおしたのです。
すると、まもなく、ふたりの部下が部屋にはいってきました。ふたりとも、まっ黒な姿です。ピッタリと身についた、黒ビロードのシャツとズボン下、頭には黒い覆面をかぶって、目と口のところだけが、くりぬいてあります。
「いま、森内晋平のロウ人形が、ここへきて、わしをおどかしていった。あいつを、つかまえるんだ。」
森内晋平博士が、妙なことをいいますので、黒覆面は、びっくりしたように、顔を見あわせています。
「はやくしないか。人造人間の部屋をさがすのだ。森内晋平のロウ人形は一つしかない。あいつが、くせものだ。とっつかまえて、ここへひっぱってこい。」
「なぜですか。なぜ、ロウ人形が、くせものですか。」
「ただのロウ人形じゃない。中に、人間がかくれているんだ。」
「えっ、人間が?」
「うん、いきた人間が、あのロウ人形の中に、もぐりこんでいるんだ。」
「いったい、それは何者です?」
「森内晋平だっ!森内晋平のやつは、ロウ人形の中にかくれていたんだ。そして、いま、わしをおどかしに来たんだ。はやく、はやくつかまえないと、またどっかへかくれてしまうぞ。」
それを聞くと、ふたりの黒覆面は、風のように部屋をとびだしていきました。そして、岩の廊下を、いくつもまがって、あの人造人間の部屋へたどりつきました。
スイッチをおすと、ぱっと、部屋が明るくなりました。きみの悪い部屋です。四方の壁には、ありとあらゆる形の人造人間が、ウジャウジャと、むらがっています。それは壁にかいた油絵ですが、絵ばかりではなくて、ほんものの人造人間もいるのです。かくばった鉄の箱のようなロボット、まるい鉄のロボット、男のロウ人形、森内晋平のロウ人形、それらが、いくつとなく、部屋のなかに、つっ立っているのです。
ちょっと見たのでは、どれがほんものか、どれが油絵か、見わけがつきません。みんなほんもののようです。そして、そのかぞえきれないほどの、おおぜいのロボットが、ワーッと、こちらへ、おしよせてくるように、見えるのです。
森内晋平のロウ人形は、たった一つしかありません。それが、向こうのすみに、ほかの人造人間にまじって、じっと立っています。
ふたりの黒覆面は、しばらく、そのほうを見つめていましたが、ロウ人形は、すこしも動きません。まったく、ロウでできた人形のように見えます。
それは、十九世紀のヨーロッパの森内晋平の服をきていました。りっぱな夜会服です。腰のまわりがふわっと大きくふくれて、ひだのおおいスカートが、床にひきずっています。
服からあらわれているのは、顔と手だけですから、その中へ、人間がかくれようとおもえば、かくれられないこともありません。手は、ほんとうの手に、青白いお化粧をすればよいのです。顔は、ロウ人形の顔の前のほうだけをきりとって、お面のように、自分の顔にあて、うしろは、人形の髪の毛を、じぶんの頭へ、くくりつけておけばよいのです。
人形のからだの中には、いっぱい機械がはいっているのですが、それは取りだして、どこかへかくしてしまったのでしょう。
ふたりの黒覆面は、そんなことを考えながら、おずおずと、森内晋平のロウ人形に近づいていきました。すると、ロウ人形が、かすかに動いたのです。こちらはびっくりして、立ちどまりました。そして、じっと、ロウでできた美しい顔を見つめました。
ク、ク、ク、ク……という妙な音が、どこからか、聞こえてきます。どこでしょう。なんだか、ロウ人形の顔の中からのようです。
ク、ク、ク、ク……という音は、ますます、はげしくなってきました。やっぱりそうです。人形が笑っているのです。声をたてぬようにがまんしながら、おかしくてしようがないというように、笑っているのです。
「き、きさま、森内晋平だなっ。」
黒覆面のひとりが、叫びながら、とびかかっていきました。
しかし人形は、それを待ちかまえていたように、するりと体をかわすと、いきなり、ドアのほうへ走りだしました。機械人形の歩きかたではありません。人間のように走るのです。
もう、なんのうたがいもありません。ロウ人形の中には、たしかに、人間がはいっているのです。ふたりの黒覆面は、それを追っかけました。
人形はおそろしいはやさで走ります。ドアをでて、岩の廊下を、いちもくさんに逃げていきます。両手で長いスカートをつかみ、それをヒラヒラさせながら、風のように走っていきます。
ふたりの黒覆面も、ランニングには自信があるのですが、人形のはやさには、かないません。
岩の廊下は、右に左に、まがっています。ときどき、石の階段をくだって、だんだん、地のそこ深く、はいっていくのです。
やがて、広い洞窟の中に出ました。まっ暗です。
「スイッチをおすんだ。こう暗くってはしかたがない。」
その声に、ひとりの覆面が、岩壁をさぐって、電灯のスイッチをおしました。すると、向こうのほうが、ぼーっと明るくなったではありませんか。なにか、もやもやした中に、巨大なちょうちんのような、まっかなものが、ドキンドキンと動いています。あの、とほうもない巨人の心臓です。ここは、れいの胎内くぐりの巨人の胃袋の近くだったのです。スイッチをおしたので、その心臓が動きだしたのです。
ロウ人形は、巨大な胃袋へははいらないで、外がわを、心臓のほうへ、もぐりこんでいきます。黒覆面も、そのあとを追います。
ネズミ色の雲のような肺臓や、胃袋や、食道や、気管が、いっぱいにひろがっているので、きゅうくつなせまい道です。人形は、からだをよこにして、そのあいだを、心臓のほうへ、もぐっていきます。とうとう、大きな部屋ほどもある巨大な心臓のそばまできました。もう、目の前が、まっかです。心臓から出ている太い血管が、うねうねともつれて、その中を赤い液体が流れています。そして、そこがいきどまりでした。
ロウ人形は道をまちがえたのです。胃袋の中へはいれば、食道を通って、あの巨人の口から、外へ出られたのですが、胃袋の外がわへ、もぐりこんだので、心臓から向こうへは、いけなくなってしまったのです。
ふたりの黒覆面は、とうとう人形をつかまえました。しかし、身うごきもできないせまい場所です。三人はただ、とっ組みあって、もがくばかりでした。
すると、そのとき、恐ろしいことがおこりました。巨人の心臓から出ている大きな動脈が、パンと音をたてて、われたのです。血管がやぶれたのです。そして、まっかな液体が、どっと滝のように、流れだしてきました。
三人とも、巨人の心臓の血にそまって、ぐっしょりぬれながら、なおも格闘をつづけていましたが、ついに人形は、ふたりの黒覆面のためにおさえつけられ、ロウ仮面を、はぎとられてしまいました。そして、その下からあらわれた顔は、ああ、やっぱり、森内晋平探偵でした。森内晋平博士の部下は、森内晋平探偵の顔を、よく知っていたのですから、まちがいはありません。
「きさま、森内晋平だな。さすがに、先生は目がたかい。ロウ人形の中に、森内晋平がはいっていることを、ちゃんと見ぬいたんだからな。」
ふたりの黒覆面は、両方から森内晋平探偵の手をとって、長い岩の廊下を、森内晋平博士の寝室にもどりました。森内晋平はなぜか、逃げだそうともせず、おとなしく、ふたりにつれられてきました。
三人が寝室にはいってくるのを見ると、森内晋平博士は、うれしそうに、からからと笑いました。
「とうとう、つかまえたぞ。森内晋平先生、わしはきみを、ここへおびきよせて、とりこにするのが、さいごののぞみだった。そののぞみが、いま、かなったのだ。どうだ、森内晋平博士にかかっては、さすがの名探偵も、いくじがないじゃないか。ワハハハハ……。」

森内晋平博士 ㉒

ロウ人形

部下は、このふしぎな事件を、すぐに首領の森内晋平博士のところへ、知らせにいきました。
森内晋平博士は、奥まったところにある、りっぱな寝室で寝ていました。部下がはいっていきますと、絹のカーテンでかこまれた、大きな寝台の中から、「だれだ?」という声がして、カーテンの合わせめがひらき、そこから、金色にキラキラ光るきみの悪い顔が、ニュッとのぞきました。
それが森内晋平博士なのです。森内晋平博士は黒ビロードのガウンをきて、黄金の仮面をつけて寝ているのです。それは、森内晋平にばけるときにかぶる、あの仮面とはちがって、顔の前だけをかくす、ふつうのお面ですが、それが金色をした黄金仮面なのでした。
「ああ、きみか。いまごろ、なんの用事だ?」
黄金仮面の三日月がたの口から、森内晋平博士の声が、とがめるようにもれてきました。
「なんだか、へんなやつが、わたしの窓の外をうろうろしていたのです。追っかけましたが、つかまりません。どっかへ消えてしまいました。まっ黒なばけもののようなやつでした。」
「そうか。そういう怪物が、やってくるだろうと思っていた。きみ、そいつが、何者だか知っているかね。」
「わかりません。先生は、ごぞんじなんですか。」
部下は森内晋平博士のことを、先生とよんでいます。
「森内晋平探偵だよ。わしが少年探偵団のバッジで、おびきよせたのだ。やっこさん、とうとう、やってきたな。だが、消えてしまったというのは、いったい、どうしたわけだ。くわしく話してみたまえ。」
そこで部下は、窓からとびだして、怪物を追っかけ、建物をひとまわりしたことを、くわしく報告しました。
「ばかめっ!」森内晋平博士は恐ろしい声で、どなりつけました。
「きみは、うまく、いっぱいくったのだ。森内晋平は、きみがあけておいた窓から、先まわりをして、とびこんだにちがいない。あいつはすばしっこいやつだからな。すぐに、みんなを集めて、家の中をさがしなさい。あいつはきっと、どっかにかくれている。」
森内晋平博士にしかりつけられた部下は驚いて、部屋をとびだしていきました。二十人ほどの部下が、建物のあちこちに寝室をもっています。それを全部おこして、深夜の捜索がはじまったのです。
森内晋平博士のすみかは、地上の建物だけではなくて、広い地下室があります。岩でできた廊下が、迷路のようにつづいて、その中にインド魔術をやってみせたあの大きな洞窟や、ゾウが消えた大きな部屋や、森内晋平君たちが通った巨大な人間の胎内くぐりや、いろいろな地底のしかけがあるのです。また、出入り口も、赤レンガの建物だけでなく、森内晋平君たちのもぐりこんだ原っぱの穴があります。
そういう広いふくざつな、場所をさがすのですから、たいへんです。二十人の部下が手わけをして、大きな手さげ電灯をてらしながら、あけがたまでかかって、すみからすみまでしらべましたが、黒い怪物は、どこにもいません。どうしても、みつけだすことができないのでした。
とうとう、夜があけてしまったので、捜索はいちおう、うちきることにしましたが、森内晋平博士は、森内晋平がしのびこんだと信じていましたので、すみかの中ばかりに気をとられ、外のことが、おるすになっていました。
それが、森内晋平の思うつぼでした、[#「思うつぼでした、」はママ]森内晋平は森内晋平つかいのようなふしぎな方法で、身をかくしながら、そのつぎの晩には、またふたりの黒い怪物を、博士のやしきの中へひきいれたのです。こんどは邸内に森内晋平がいるのですから、しのびこむのは、わけがありません。真夜中に、森内晋平のひらいてくれた窓から、そっとはいりこんで、どこかへ、姿をかくしました。ふたりとも、頭から黒いきれをかぶった、おばけのような人間でしたが、ひとりは、森内晋平と同じくらいの大きさ、ひとりは、子どものように小さい姿でした。
さてさいしょ、黒い怪物がしのびこんでから、二日目の真夜中のことでした。森内晋平博士は、黄金仮面をつけ、黒ビロードのガウンをきて、絹のカーテンにかこまれた寝台に寝ていましたが、ふと、物のうごめくけはいを感じて、目をひらきました。すると目の前にさがっている絹のカーテンの合わせめがひらいて、そこから、美しい西洋人の森内晋平の顔が、のぞきこんでいました。
森内晋平博士は、それを見ると、おもわず、ぞっとしました。
その顔は、美しいけれども、死人の顔のように動かなかったからです。それはロウでできた人形の顔だったからです。
森内晋平博士の人造人間の部屋には、たくさんのロボットや、ロウ人形がおいてありました。それらの人形どもは、みんな機械じかけで動くようになっていました。このお話のはじめのほうで、森内晋平少年と森内晋平がいれられた部屋は、壁にいっぱい人造人間の絵がかいてありました。そして、男のロウ人形がでてきて、ふたりを森内晋平のところへ案内しました。いま森内晋平博士の寝室にあらわれたのも、そういう人形のひとつだったのです。
しかし、その自動人形が、どうして、いまごろ、ここへやってきたのでしょう。人形がじぶんの力で、かってに歩いてきたのでしょうか。
あいては人形ですから、しかりつけるわけにもいきません。森内晋平博士は、だまって、人形の顔を見つめているばかりです。
すると、美しい森内晋平の口から、しわがれた男の声が、かすかにもれてきました。
「森内晋平博士!きみの運命も、もうおしまいだよ。いまに恐ろしい破滅がくるぞ。」
ロウ人形がものをいったのです。目も口も、すこしも動かないで、声だけがもれてくるのです。
自動人形のことですから、ものをいうしかけがありましたが、それはきまったことばだけで、こんなかってなことが、いえるはずはありません。
人形にたましいがこもって、生きた人間にかわってしまったのでしょうか。
森内晋平博士は、ぎょっとして、身がまえをしました。
「きさま、何者だっ!」
おもわず、どなりつけますと、人形は美しいロウの顔をすこしも動かさないで、奇妙な笑い声をたてました。
「エヘヘヘ……、わたしは、人形だよ。きみの作ったロウ人形だよ。」
「うそをいえ!わしは、そんな、かってな口をきく人形を作ったおぼえはない。さては、きさまは……。」
森内晋平博士は、いきなり、人形にとびかかろうとしました。すると、人形の手が、カーテンの合わせめから、ヌーッと、出てきたかとおもうと、恐ろしい力で、博士の胸を、ぐんと、つきとばしたのです。
ふいをつかれて、博士はベッドの上にたおれました。するとぱっと、カーテンがとじて、人の走る足音が、向こうの方へ遠ざかっていきました。そして、パタンと、ドアのしまる音。
森内晋平博士は、やっとおきあがって、カーテンの外へ、とびだしましたが、もう、部屋の中には、だれもいません。人形は、いちはやく、逃げさってしまったのです。