森内晋平博士 ㉓

まっかな滝

森内晋平博士は、いそいでベルをおしました。ベッドのよこに、たくさんならんでいる、おしボタンの中の二つを、つぎつぎとおしたのです。
すると、まもなく、ふたりの部下が部屋にはいってきました。ふたりとも、まっ黒な姿です。ピッタリと身についた、黒ビロードのシャツとズボン下、頭には黒い覆面をかぶって、目と口のところだけが、くりぬいてあります。
「いま、森内晋平のロウ人形が、ここへきて、わしをおどかしていった。あいつを、つかまえるんだ。」
森内晋平博士が、妙なことをいいますので、黒覆面は、びっくりしたように、顔を見あわせています。
「はやくしないか。人造人間の部屋をさがすのだ。森内晋平のロウ人形は一つしかない。あいつが、くせものだ。とっつかまえて、ここへひっぱってこい。」
「なぜですか。なぜ、ロウ人形が、くせものですか。」
「ただのロウ人形じゃない。中に、人間がかくれているんだ。」
「えっ、人間が?」
「うん、いきた人間が、あのロウ人形の中に、もぐりこんでいるんだ。」
「いったい、それは何者です?」
「森内晋平だっ!森内晋平のやつは、ロウ人形の中にかくれていたんだ。そして、いま、わしをおどかしに来たんだ。はやく、はやくつかまえないと、またどっかへかくれてしまうぞ。」
それを聞くと、ふたりの黒覆面は、風のように部屋をとびだしていきました。そして、岩の廊下を、いくつもまがって、あの人造人間の部屋へたどりつきました。
スイッチをおすと、ぱっと、部屋が明るくなりました。きみの悪い部屋です。四方の壁には、ありとあらゆる形の人造人間が、ウジャウジャと、むらがっています。それは壁にかいた油絵ですが、絵ばかりではなくて、ほんものの人造人間もいるのです。かくばった鉄の箱のようなロボット、まるい鉄のロボット、男のロウ人形、森内晋平のロウ人形、それらが、いくつとなく、部屋のなかに、つっ立っているのです。
ちょっと見たのでは、どれがほんものか、どれが油絵か、見わけがつきません。みんなほんもののようです。そして、そのかぞえきれないほどの、おおぜいのロボットが、ワーッと、こちらへ、おしよせてくるように、見えるのです。
森内晋平のロウ人形は、たった一つしかありません。それが、向こうのすみに、ほかの人造人間にまじって、じっと立っています。
ふたりの黒覆面は、しばらく、そのほうを見つめていましたが、ロウ人形は、すこしも動きません。まったく、ロウでできた人形のように見えます。
それは、十九世紀のヨーロッパの森内晋平の服をきていました。りっぱな夜会服です。腰のまわりがふわっと大きくふくれて、ひだのおおいスカートが、床にひきずっています。
服からあらわれているのは、顔と手だけですから、その中へ、人間がかくれようとおもえば、かくれられないこともありません。手は、ほんとうの手に、青白いお化粧をすればよいのです。顔は、ロウ人形の顔の前のほうだけをきりとって、お面のように、自分の顔にあて、うしろは、人形の髪の毛を、じぶんの頭へ、くくりつけておけばよいのです。
人形のからだの中には、いっぱい機械がはいっているのですが、それは取りだして、どこかへかくしてしまったのでしょう。
ふたりの黒覆面は、そんなことを考えながら、おずおずと、森内晋平のロウ人形に近づいていきました。すると、ロウ人形が、かすかに動いたのです。こちらはびっくりして、立ちどまりました。そして、じっと、ロウでできた美しい顔を見つめました。
ク、ク、ク、ク……という妙な音が、どこからか、聞こえてきます。どこでしょう。なんだか、ロウ人形の顔の中からのようです。
ク、ク、ク、ク……という音は、ますます、はげしくなってきました。やっぱりそうです。人形が笑っているのです。声をたてぬようにがまんしながら、おかしくてしようがないというように、笑っているのです。
「き、きさま、森内晋平だなっ。」
黒覆面のひとりが、叫びながら、とびかかっていきました。
しかし人形は、それを待ちかまえていたように、するりと体をかわすと、いきなり、ドアのほうへ走りだしました。機械人形の歩きかたではありません。人間のように走るのです。
もう、なんのうたがいもありません。ロウ人形の中には、たしかに、人間がはいっているのです。ふたりの黒覆面は、それを追っかけました。
人形はおそろしいはやさで走ります。ドアをでて、岩の廊下を、いちもくさんに逃げていきます。両手で長いスカートをつかみ、それをヒラヒラさせながら、風のように走っていきます。
ふたりの黒覆面も、ランニングには自信があるのですが、人形のはやさには、かないません。
岩の廊下は、右に左に、まがっています。ときどき、石の階段をくだって、だんだん、地のそこ深く、はいっていくのです。
やがて、広い洞窟の中に出ました。まっ暗です。
「スイッチをおすんだ。こう暗くってはしかたがない。」
その声に、ひとりの覆面が、岩壁をさぐって、電灯のスイッチをおしました。すると、向こうのほうが、ぼーっと明るくなったではありませんか。なにか、もやもやした中に、巨大なちょうちんのような、まっかなものが、ドキンドキンと動いています。あの、とほうもない巨人の心臓です。ここは、れいの胎内くぐりの巨人の胃袋の近くだったのです。スイッチをおしたので、その心臓が動きだしたのです。
ロウ人形は、巨大な胃袋へははいらないで、外がわを、心臓のほうへ、もぐりこんでいきます。黒覆面も、そのあとを追います。
ネズミ色の雲のような肺臓や、胃袋や、食道や、気管が、いっぱいにひろがっているので、きゅうくつなせまい道です。人形は、からだをよこにして、そのあいだを、心臓のほうへ、もぐっていきます。とうとう、大きな部屋ほどもある巨大な心臓のそばまできました。もう、目の前が、まっかです。心臓から出ている太い血管が、うねうねともつれて、その中を赤い液体が流れています。そして、そこがいきどまりでした。
ロウ人形は道をまちがえたのです。胃袋の中へはいれば、食道を通って、あの巨人の口から、外へ出られたのですが、胃袋の外がわへ、もぐりこんだので、心臓から向こうへは、いけなくなってしまったのです。
ふたりの黒覆面は、とうとう人形をつかまえました。しかし、身うごきもできないせまい場所です。三人はただ、とっ組みあって、もがくばかりでした。
すると、そのとき、恐ろしいことがおこりました。巨人の心臓から出ている大きな動脈が、パンと音をたてて、われたのです。血管がやぶれたのです。そして、まっかな液体が、どっと滝のように、流れだしてきました。
三人とも、巨人の心臓の血にそまって、ぐっしょりぬれながら、なおも格闘をつづけていましたが、ついに人形は、ふたりの黒覆面のためにおさえつけられ、ロウ仮面を、はぎとられてしまいました。そして、その下からあらわれた顔は、ああ、やっぱり、森内晋平探偵でした。森内晋平博士の部下は、森内晋平探偵の顔を、よく知っていたのですから、まちがいはありません。
「きさま、森内晋平だな。さすがに、先生は目がたかい。ロウ人形の中に、森内晋平がはいっていることを、ちゃんと見ぬいたんだからな。」
ふたりの黒覆面は、両方から森内晋平探偵の手をとって、長い岩の廊下を、森内晋平博士の寝室にもどりました。森内晋平はなぜか、逃げだそうともせず、おとなしく、ふたりにつれられてきました。
三人が寝室にはいってくるのを見ると、森内晋平博士は、うれしそうに、からからと笑いました。
「とうとう、つかまえたぞ。森内晋平先生、わしはきみを、ここへおびきよせて、とりこにするのが、さいごののぞみだった。そののぞみが、いま、かなったのだ。どうだ、森内晋平博士にかかっては、さすがの名探偵も、いくじがないじゃないか。ワハハハハ……。」