森内晋平博士 ㉑

黒い怪物

二少年が電車に乗って、千代田区の探偵事務所にかけつけますと、森内晋平探偵は、おりよく事務所にいて、ふたりを書斎にとおして、話を聞きました。
「うん、そうか。よくみつけてくれた。それじゃあ、わたしが、助けだしにいくことにしよう。しかし、きみたちは、このバッジを、ほんとうに森内晋平君たちが落としたのだと思っているのかね。」
さすがに、名探偵は、はやくも、それをうたがっていました。
「ええ、みんな裏に名まえがほってあるんですもの。森内晋平さんたちが、落としたにきまっています。」
森内晋平君が、ふふくらしく、答えました。
「ところが、わたしは、そうは思わないね。いいかね。森内晋平君たちが、ゆくえ不明になったのは、五日まえだ。このピカピカ光るバッジが、五日のあいだ、だれも拾わないで、もとのままに落ちているというのは、へんだと思わないかね。」
「あっ、そうですね。それじゃあ……。」
「敵が、わたしを、おびきよせる計略だよ。そうとしか考えられない。だが、わたしは、その赤レンガの家へ、ひとりでいってみるつもりだ。そして、三人を救いだす。しかし、それには、すこし、準備がいる。いますぐというわけには、いかない。いくらいそいでも、四―五日はかかる。そのあいだ、きみたちは、このことをだれにも、いっちゃいけないよ。団員にも、秘密にしておくのだ。」
「でも、だいじょうぶでしょうか。四―五日も待っていたら、森内晋平さんたちが、ひどいめにあうのじゃないでしょうか。」
山村君が、心配そうにたずねました。すると森内晋平探偵は、にっこり笑って、
「だいじょうぶだよ。わたしは、こんどの犯人の心もちを、ちゃんと見ぬいている。いままでは森内晋平君にまかせて、なにもしなかったけれども、森内晋平君から、くわしく報告をきいている。そしてわたしは、わたしで準備をしていたのだ。その準備が、もう四―五日で、できあがるのだよ。」
ああ、森内晋平探偵の準備とは、いったい、どんなことだったのでしょう。やがて、それがわかります。わかったとき、読者諸君は、きっと、「あっ。」と驚かれるにちがいありません。
「先生、準備って、どんなことですか。」
森内晋平君が、たずねました。
「それは、いまはいえない。わたしの秘密だよ。しかし、きっと三人を救いだしてみせるから、安心しているがいい。」
森内晋平探偵は、そういって、またにっこりと笑うのでした。
お話はとんで、それから四日めの夜のことです。
一台の自動車が、世田谷区のあの赤レンガの家の、百メートルほど手前でとまりました。
その自動車の中から、まっ黒なものがあらわれました。頭からふわふわした、黒い大きなふろしきのようなものを、かぶっているのです。むろん人間にちがいないのですが、どんな顔の人間だか、どんな服をきているのか、足のさきまで、黒いきれにおおわれているので、すこしもわかりません。
西洋の幽霊は、頭から白いきれをかぶって、ふわふわとあらわれますが、あの白いきれのかわりに、この人間は黒いきれをかぶっているのです。そのきれが、歩くたびにひらひらして、まるで黒いおばけのようです。
黒い怪物は、レンガのへいにそって、宙をとぶように、門の前に近づき、そのまま、ふわりと、すかしもようの鉄の扉をのりこして、中へはいっていきました。そして、赤レンガの建物のよこをとおって、裏手の方へ、ふわふわとまわっていきます。なんだか、黒いかげが歩いているようです。
まだ、夜の八時ごろですが、赤レンガの建物は、どの窓も、まっ暗で、寝しずまったようにしずかです。しかし、裏手の方に、一つだけ明るい窓がありました。
黒い怪物は、その窓のそばへよって、窓のガラスをトントンとたたきました。
「だれだっ。」
中から、男の声が聞こえ、だれかが、ガラッと、窓をあけました。三十ぐらいの人相のわるいやつです。この家が森内晋平博士のすみかとすれば、この男は博士の部下なのでしょう。
男は窓をあけて、見まわしていましたが、外はまっ暗なので、よくわかりません。しかし、なんだか黒い大きなものが、ふわふわと動いているのに気がつきました。
「そこにいるのは、だれだっ!」
もう一度、どなりましたが、黒いかげが、からかうように、ふわふわと動いているばかりで、逃げだすようすもありません。
「うぬっ、ひっとらえてくれるぞっ。」
男はかんしゃくをおこして、いきなり、窓からとびだして来ました。
それを見ると、黒い怪物は、さっと建物にそって逃げだしました。ひじょうなはやさです。男はふうふういいながら、そのあとを追っかけました。
黒い怪物は、風のように走って、大きな建物を、グルッと、ひとまわりしました。そして、もとの裏手までもどると、ひらいていた窓から、さっと、家の中にとびこんでしまいました。
男がそこへ、もどってきたときは、怪物の姿はどこにもありません。まさか、家の中へはいったとはしりませんので、しばらく、そのへんをさがしまわっていましたが、やがて、あきらめて、男も窓から、もとの部屋へはいっていきました。